まだ見ぬ景色を求めて(オホーツク海編1)

diary

GoogleMapで北海道地図を眺めているとき、しばらく行っていない地域がある事に気づきました。

オホーツク海沿岸です。

赤い線の地域

調べてみると前回行ったのは2013年7月。当時、職場の人に「オホーツク海沿岸行ったこと無いので、ドライブして来ようと思います」と伝えたところ「ああ、そこは何もなくて退屈ですよ」と言われ、行ってみましたが本当に何もありませんでした^^; 何もないという事は自然が残っているという事でもあり・・・

頭の中の13年前の記憶がどう蘇るか!? いずれにせよ、ここまで右回り、左回り、どちらで行くか? まずは寄り道しながら走り慣れた北へ向かうことにしました。週間天気予報は今日の月曜日以外はすべて傘マークがついているので雨雲レーダを見ながら豪雨を避けて走れるか!?

すでにお辞儀をしていました

ひょっとしたら遅咲きのひまわりが・・・

黄色ではなく緑色の畑
すみません、もうおしまいですと頭を下げています

やはりお盆前がピークのようです。

先人たちへの思い

ひまわり畑から留萌に抜け、ここから海沿いを北上します。

国道232号線を通るときに、いつも立ち寄る「道の駅 おびら鰊番屋」です。

一番右が鰊番屋、正面が道の駅
ライダーは若い女性2人でした

お天気が良いと札幌からの1日ツーリングにはちょうど良い距離かもしれません。

3つある慰霊碑の1つ

終戦後、この沖で「三船殉難(遭難)事件」という沈没事件で、多くの引き揚げ船乗客が犠牲になりました。学童疎開船「対馬丸事件」より知る人は少ないかもしれません。

道の駅の2Fにちょっとした無料展示コーナーがあります。

私が生まれた時のキッチンはこうでした←嘘です
この机とオルガンは小学校で使った記憶があります
沈没した船から引き揚げられたもの

原形をとどめていて手入れをすればまだ使えそうです。プレートには「無線発信機」と書かれていますが正確には「電鍵」です。この電鍵で「SOS」と打電したのでしょうか?心が痛みます。

私が愛用してきた電鍵

ほとんど同じ構造、形をしています。死んでも口からラッパを離さなかった話しが日清戦争にはありますが、船が沈んでも電鍵を離さなかった通信士の話しはあるのか? 船が沈む時、最後に退船するのは船長、その前は通信士だったのかもしれません。

自炊道具を持ってくれば良かった
初山別村 みさき台公園です
バンガローがあります
しまった!下の駐車場スペース空いている!

下の駐車場に車停めて芝生にターフとか張って自炊するのに良い場所なのです。ここのフリースペースは500円のはず。更に下には広いキャンプスペース、温泉もあります。

夕陽や星空も綺麗!なお気に入りの場所です。

壮観な北海道の景色です

お天気が良いのは今日まで・・・ 予定以上に北まで来てしまいました。

向こうに見えるのは利尻島の利尻富士
ひとりぼっちです

車が来ないと、ヒューヒューと風車の回る音が聞こえます。

風力発電の数が増えてきている?

ここの直線道路を走るのはとても気持ち良い!バイクだと尚更でしょう。ここの独特な感覚と景色は他には無いかもしれません。

海沿いを北へ走り切る!
モロ逆光です。この岬は北向きではなく西北西向きです
利尻富士が綺麗に見えます

ノシャップ岬から稚内市内へ移動します。

線路の一番北はこうなっています
稚内は街中には普通に鹿がいます
日が沈んでいく・・・

オホーツク海沿岸を走るスタート地点まであと少しです。

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